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2010年10月1日金曜日

風車型にデスク配置

トヨタの事務所は殆どが大部屋だ。部や課の境に壁はもちろん衝立も立てない。キャビネットや書棚などを並べて仕切るのも嫌われる。
そんな大部屋でも机の配置の形はいろいろあった。
最初の部署は、部課長が窓側から中を向き担当者が窓側を向き対面した教室タイプ、次に異動した部署は、上司を横に見る、列に連なった配列だった。
その次の部署は上司は横に見るのは同じだが担当同士が向かい合わせて机を寄せ合った配列だった。
それらの配列は、合理的な根拠にもとづくものとは思えなかった。
私が新任係長になったとき、自分の係りの机の配置を考えて風車型にしてみた。
4つの机の右上がすべてが中心にくるようにすると風車のように並ぶ。
皆が隣の人の横顔を見るように着席させるのだ。
執務中は目線が合うことがないので仕事に集中できるし、必要な時には横を向くだけで対話できる。
当時は電話機が数人に1台しかなかったが中心に置けば全員手が届く。
さらに発展させ、この4人を小グループにして、グループ間の改善提案の競争をさせた。
効果があったかどうか、比較対象がないので定かでないまま、事務所が手狭になってきたので通路面積の少ない対面型に戻さざるを得なかった。

2010年9月22日水曜日

部長にも改善目標をあたえ、発表会を行う「部課長自主研」を推進

改善目標は、組織に割り当てられるのが普通だ。部長は組織の長なので部下をリードして改善活動を展開するのは当たり前だが、ややもすると、下部組織に目標を分割して割り当てるだけで、自から改善を手がけることのない人もいて、部下からは能力を疑われたりする。
そこで、工場の部課長を集めて、部長をリーダーに改善チームを数チーム作って、自分の担当組織以外で課題工程と改善目標をあたえて毎週一度4時間、現地現物で観察と改善活動を行わせ、数ヶ月後に発表会をさせる、もちろん発表は部長自身が行うという活動を展開しました。「工場部課長自主研究会」と呼び事務系の部署の部課長でも例外にはしませんでした。
改善効果はもちろん、組織外でも工場の隅々まで知ることができ、親密な人間関係ができ、本来業務に関する情報収集に役立つ活動になりました。
部課長本人の改善能力向上は、その後、仕入先の経営者に転出したときに、トヨタの「カイゼン」を自信を持って展開するのに役立ったことと思う。

2010年9月19日日曜日

カイゼンの出稼ぎ

会社の経営環境が厳しくなり、工場への原価改善目標の割付が従来に比べて大幅に増額された。
従来通りの体制での改善活動では達成は困難だ。
工場の原価改善推進責任者として、達成する耐えの方策を検討しなければならなかった。
そこで、仕入先の工程改善の支援チームを作り、仕入先の製造原価を低減させた場合、その半額を、購入単価に反映していただき、支援した部署の原価改善額に加算してもらうという制度を本社に了解させた。
チームを編成するため各部署から人材を集めたところ優秀な人材を出してくれた、上司から、推進部署としても、担当ベースではすまなくなった、君に加わってほしい、ということになり、私の仕事は部長が兼務し、私も専従でチーム加わり、要請のあった仕入先へカイゼンの出稼ぎに行きました。
改善効果の半分は仕入れ先に残すので仕入先からも喜ばれ、もちろん出稼ぎカイゼンによる購入単価低減効果額が工場の原価改善実績に加算できたことで、本社から与えられた目標を達成することができました。

2010年9月17日金曜日

マイプログラムコンテストで最優秀賞受賞

自宅のパソコンを、おもちゃのようなPC6001から会社と同じPC9801に買いかえた。
このパソコンは高性能なグラフィック機能があり、従来の計算機というコンピューターのイメージが大きく変わった。
そのグラフィック機能を使って「麻雀や将棋、テトリスやプヨプヨ、」といった楽しいゲームが沢山作られて出回っていた、これらで遊ぶのがとても楽しかった。
これらのゲームに、ガードされてはいるが、BASICで作られているものも多かった。
そくで、自分でも作ってみようと、トヨタの技術会が毎年開いていたマイプログラムコンテストを目指すことにした。
1年目は「麻雀ゲーム」を作り「銅賞」に入賞した。
2年目は「お絵かきCAD」を作り、描いた手順を記憶して再現できるように工夫した。
展示時には、その再生ロジックを利用して、デモが繰り返されるように作り、来場者の目を引き付けるのに成功し、ついに「最優秀賞」を獲得しました。
事務屋の私が技術屋の集まる技術会のイベントで最優秀賞をとってしまったのでした。

新入社員はパソコンでプログラム作りを3ヶ月体験してから配属

私がトヨタの本社工場の事務課長だったとき、工場へ配属された管理部門の新入社員を3ヶ月間、職場配属をせずに、テーマを決めてBASICによるパソコンプログラムを作らせました。
これからの事務員・技術員はパソコンが使いこなせるこが必須能力と考えたからです。
仕事そのものを習得する段階から、パソコンが操れる能力をもっていれば、若い力が仕事自体を革新して行ってくれることを期待して。
この新入社員たちが配属後、期待にこたえて、それぞれの職場で多くの仕事を改善して行ってくれた。
ある運動部推薦で入社してきた新入社員は、一覧たな卸し票というたな卸しシステムを構築してくれました。
従来は1品1葉のたな卸し現品票で行っていたものを、ラインサイドの置き場の棚の順に印刷された一覧表でたな卸しをしようというものです。
トヨタのラインサイドの置き場はいつでも移動できるように滑車が付いていて、生産量が変化すると作業組み合わせがすぐ変えられ、それにともない置き場も移動される。
従来のコンピューターシステムでは、その変化に、追随してマスターをメンテナンスしていくことは困難でした。
これを職場のパソコンで、担当自身が維持していくようにしてくれ、あわせて棚番表示板もこのパソコンで作るようにして、メンテナンス漏れがなくなりました。
たな卸し時間が大幅に軽減できたのはもちろん、たな卸しもれ、回収漏れも防げました。
それから数十年後私は定年退職し、トヨタのOBが一堂に会する社友会に参加したとき、その彼がトヨタの車通信システム[GAZ0」の開発に携わり、その紹介にきていた。
新入社員をパソコンで遊ばせていると揶揄されたこともったが、あの3ヶ月が役に立っていたのだと自己満足をしたしだいです。

2010年9月16日木曜日

アスターリスク プラスマイナス(*+-)方式による部品必要計算

トヨタの部品調達は必要なときに必要な真野を必要なだけ引き取る、かんばん方式と言えども、個々の部品の必要数は計算し内示して人や設備や材料を準備しておかなければ運用できない。

車の構成部品は1車種あたり数千種類がある上、輸出先の拡大で車の種類もどんどん増加してきた。
コンピューターで個々の部品の必要数を計算するのだが、その原単位マスターは部品単位に使う車をマークする方式でした。
そのため、車種が追加されるたびにメンテナンスしなければならず、マスター修正がついていけず、計算された電算リストを各担当者に配布し、手計算の結果と照合し訂正したものを、仕入先別に分類して配布していました。
担当者が手計算をしている台帳を見ると「クラウンに使う、ただし左ハンドルは除く」と言うように書いてありました。
これならエンジンの大きい車が増えた場合なら訂正しなくてよい。
「*+-方式の引き当て編成システム」のマスターを工夫して人が読めコンピューターも計算できるようにしました。以降、リストは担当者を経由せず、直接仕入先に配布されるようになりました。
担当者はマスター制度の維持に専念すればよくなりました。
----------*+-方式によるマスターの書き方----------
RS***L***    2      クラウンの左ハンドル車に2個使う
RS***L**M   -2      ただしM型ミッション搭載車には使わない
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2010年9月15日水曜日

組織力に勝ったパソコン選挙

地域の自治会長を勤めていたとき、市会議員を地元から立てることになって総務部長をになうことになってしまった。
できるだけ多くの人に演説会や辻立ちに集まってもらい、さらに選挙事務所に顔を出してもらえるような動員方法を企画しなければなかった。
それには地区別の後援会が競争をするように仕向けることが効果的と考え、パソコンを持ち込みBASICでプログラムを作り、参加者を確実に把握して毎日の選対会議にグラフ化して報告しするようにして競争を煽った。
把握方法は参加受付け票に書かれた電話番号をキーにデータベースを構築し、後援会組織の末端組織まで動員状況を詳細に分析してアクションを取れるように資料も提供した。
労働組合の組織候補と競合して心配してたが、大きく差をつけて上位当選をはたした。